2010年10月8日金曜日

【私の保守主義】

 世間は尖閣問題でもちきりです。
 それにしても、この国はおかしいと思いませんか。本来なら、国会の周りをデモ隊が取り巻いてもおかしくないくらいの事件なのに、ネット上はともかく、奇妙に静かです。あきらめているのか、あきれているのか、一体どうなっているのかと思います。

 同時に、一体自民党はどうするんだ、とも言われます。当然です。ここで自民党、というか保守勢力がしっかりしなければ、この国はどんどんと溶けていってしまうかもしれません。
 

 保守というと、何となく古くさい、守旧的なオヤジ臭さが先に立つイメージがあるかもしれません。しかし、本来の保守というのは、自分達が生まれ育った家庭、地域、国の伝統や文化、そして社会の規律や規範あるいは道徳と言ってもいいかもしれませんが、そういうモノを大事にしていくということです。
運動会で木遣りを披露する子供たち
子供たちに何を遺すのかを考える事が私たちの未来への責任ではないですか。

 
 日本に限りませんが、先進国はどこも、経済的・物質的に成熟段階にあります。モノに対する欲望も、限界に達しつつあるのかもしれません。こうなると、何を目標、目的にして生きていくのか、個人の自由も行き着くところまで行き着いて、逆に礼儀とか規律を求めるような動きも出てくるのかもしれません。

紀和町丸山千枚田
先祖から連綿と受け継がれてきた遺産
生命とは今を生きる私たちだけのモノではなく過去から未来へ受け継がれるもの
今こそ、保守政党の果たす役割は大きいと言えます。
 考えてみると、自由というものも意味をはき違えると、単なる身勝手と区別がつかなくなってしまいます。他者のことを考え、尊重する中で、義務と責任が伴うのが、本当の自由ではないでしょうか。
 
 命がけで勝ち取った自由とは、本来そういうものだったはずです。私達は、保守という枠の中で、これまで長い間かかって培われてきた、日本人としての規律、礼儀、道徳、もっと言えば社会生活の知恵の中で、他者に配慮しながら個人の自由を尊重する生き方を取り戻していきたいものだと考える今日この頃です。